『こうして私は53歳で、また東大生になった』 平岩 正樹

いつでも呼び出し、加工し、他と関連付けることが出来るような「強固な記憶」を作るには、
どこかで「受験的勉強」が必要になる。

教科書であれ、読み物であれ、本を次から次へと読み飛ばしていくだけでは、
強固な記憶は作れないのだ。


「勉強」という名に値する行為には、受験的勉強の要素が含まれていなければならない。


高校教科書でも中学教科書でいい、
改めて読み返しながら、受験勉強によって得ることが出来た知識を振り返ってみよう。

読み飛ばした本たちが与える微かな断片的記憶とつかの間のドーパミン経験と比べて、
はるかに豊かなモノが自分に与えられている(いた)ことに気がつくだろう。

強固で、体系的で、無駄なく整理されている知識。

受験的勉強方法を忘れてはいけない。

受験勉強で、たとえば世界史や日本史を勉強したことだけでも、今までの人生で何百冊もの歴史書を読むことよりもはるかに実りの多いものだった。「文系高卒の学力」が身についただけでも、それなりに世の中がよく見えてくる。

こうして私は53歳で、また東大生になった

こうして私は53歳で、また東大生になった

[目次]

  1. もう一度、思う存分勉強したい
  2. これが平岩流・必勝勉強法だ
  3. 東大の入試システムと英数対策
  4. 関門の国語と日本史はここまでやった
  5. 熱中すれば受験勉強もまた楽し!
  6. 勉強は楽しいからする「道楽」である