『差別感情の哲学』 中島 義道

誰にでも一人二人いるのではないだろうか。

その人を前にすると、つい故ない軽蔑、敵意、憎悪を抱いてしまう、
そんな相手が。

お題目としての愛、共感、相互理解は分かっていても、
「明日こそは優しくしよう」といくら決心しても、

いざ当の相手に直面すると、湧きあがえる「負の感情」が邪魔をして、
積極的に受け入れることが出来ない。


沈黙によって、負の感情と共に湧き立つ罪悪感を見ない振りしたり、

「次こそは」と呟きながら、どこかで残酷な視線と言動を正当化してしまう。


もしそんな相手がいて困っているのなら、
(相手ではなく)自らの「負の感情」そのものについて考えてみる必要があるかもしれない。

われわれがある人に対して(ゆえなく)不快を覚え、ある人を(ゆえなく)嫌悪し、軽蔑し、ある人に(ゆえなく)恐怖を覚え、自分を誇り、自分の帰属する人間集団を誇り、優越感に浸る…という差別感情は、―誤解されることを承知で言い切れば―人間存在の豊かさなのである。

差別感情の哲学

差別感情の哲学

[目次]

  1. 何が問題なのか
  2. 他人に対する否定的感情
  3. 自分に対する肯定的感情
  4. 差別感情と誠実性
  5. どうすればいいのか